2011年03月23日
生きていること
今までは、今回の震災を、気持ちのどこかで「遠くの地方の情報」として理解し
その苦労に、お見舞いの気持ちで接し、分かち合って、
協力できることは協力しよう!というように、頭の中に蓄積していたように思う。
でも、実際に被災した方から聞いたお話は、実は今、自分が生きていることは、
死んでいることと本当に紙一重で、
目の前の交差点を、直進するか、右折するか、
今、調理場の片付けをするか、後で片付けるか、
大学生の息子が、たまたま家でゴロゴロしているか、遊びに行っているか、
それくらい小さな、日常の選択や、周りの人たちの行動で決まることなんだと
自分の人生の価値観をもう一度しっかり見つめなおさなければならないと
気持ちの深い場所から全てかき混ぜるくらいに、心の深く深くに突き刺さる
鋭さと力を持ったものでした。
自分が生きること。
もちろん生きる限りはしあわせでありたい。
しあわせとは、肉体と精神と経済が健康であること。
でも生きている状態は、本当に小さなきっかけで変化してしまうこと。
この10年、私は、「自分自身が健康であること」こそが、他のあらゆる
ことから最優先されると決めて生きてきました。
家族は大切ですが、自分が健康であれば家族に苦労を掛ける心配もない。
家族が病んでも、自分が健康であれば、助けられる。
だから自分自身が健康であることこそ、最優先だと。
もういちど、自分の生き方を考えてみよう。
その苦労に、お見舞いの気持ちで接し、分かち合って、
協力できることは協力しよう!というように、頭の中に蓄積していたように思う。
でも、実際に被災した方から聞いたお話は、実は今、自分が生きていることは、
死んでいることと本当に紙一重で、
目の前の交差点を、直進するか、右折するか、
今、調理場の片付けをするか、後で片付けるか、
大学生の息子が、たまたま家でゴロゴロしているか、遊びに行っているか、
それくらい小さな、日常の選択や、周りの人たちの行動で決まることなんだと
自分の人生の価値観をもう一度しっかり見つめなおさなければならないと
気持ちの深い場所から全てかき混ぜるくらいに、心の深く深くに突き刺さる
鋭さと力を持ったものでした。
自分が生きること。
もちろん生きる限りはしあわせでありたい。
しあわせとは、肉体と精神と経済が健康であること。
でも生きている状態は、本当に小さなきっかけで変化してしまうこと。
この10年、私は、「自分自身が健康であること」こそが、他のあらゆる
ことから最優先されると決めて生きてきました。
家族は大切ですが、自分が健康であれば家族に苦労を掛ける心配もない。
家族が病んでも、自分が健康であれば、助けられる。
だから自分自身が健康であることこそ、最優先だと。
もういちど、自分の生き方を考えてみよう。
Posted by よしのり at 08:25│Comments(0)
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